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正倉院展

話が古くならないうちに。って、すでに十分古いんですが。

11月10日、正倉院展最終日に母と2人で出掛けてきました。久々に難波から近鉄線に乗り、電車中のおばちゃん、おじちゃんグループの元気さに、「何か、おじちゃん・おばちゃんが一番元気で、一番人生楽しそうやんね~」とそんな話をしていた私たち母娘(一体いくつですか)。
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近鉄奈良駅改札で正倉院展のチケット販売があったので、購入しようと学生証をいそいそと探してると、おばさまが「私行けないから、これ使って下さい」と招待券(非売品)を譲って下さりました。ありがとうございます~。ぼちぼち歩いて向かうは、鹿がお出迎え、奈良公園。15分の待ち時間の後、いざ正倉院展へ。・・・皆考えることは同じなのでしょう、最終日朝の人出が一番多かったようで、昼御飯時は、入館の列はあるものの、どんどん進んでました。時間の選択間違えた。

正倉院展、何が面白いってあの芸の細かいモノが見れること。得意技、空想(暇さえあればこれで何時間でもつぶせる、安上がり)な私としては、展示物から当時の宮廷生活が想像できて楽しめる。それに当時の技術力が現代に負けず劣らず(むしろ勝ってる)であることに驚いたり。大学の授業で「世界遺産が世界遺産たる理由」を聞きかじったこともあり、奈良が世界遺産の理由の一端を見ることもできました。しっかし、次見る展示品に向かう方達はどうも周囲の人が見えにくいらしく、ガンガンぶつかりました・・・。しかも、気づかれないので、ごめんなさいもなし・・・。おかしい、日本はぶつかったらすいませんって言うのが普通じゃなかったかしら?ここはデンマーク・・・??

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もみくちゃにされつつ、正倉院展を(空想で)堪能した後は、博物館外に設置されたテントスペースで奈良なのに鶴屋吉信の京風ぜんざいをいただき、散歩がてら東大寺方面へ向かいます。母が若い頃、奈良公園に来て、鹿に尻をつつかれたらしく、軽くトラウマらしいという話を初めて聞きました。私は小さい頃奈良公園で鹿を前に大泣きしていたらしく、アルバムに号泣写真が残っています。

奈良

2年ぶりに紅葉も楽しみつつ(デンマークでは一気に冬)、鹿を眺めつつの散歩です。ここの鹿って、こんなに人慣れして、まあ・・・。とある焼き芋を片手に歩いていたおばさまに鹿は首ったけ。もちろん焼き芋欲しさ。おばさま必死で追い払っていましたが、人慣れしてるんで効果無し。子鹿を見たり、縄張り争いを見たり、脇からニュッと鹿が顔出してきてびっくりしたりでした。

家から1時間ちょっと。でも、いい気分転換でした。
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デンマーク帰省ーいってらっしゃい

8月24日。この日は次男ユラのカナダ留学出発日でした。昼過ぎ、家族とイギリスから遊びに来ていたユラの友達と一緒に空港までお見送り。元々、この夏からは義務教育終了後の子が通うことが可能な、efterskoleという全寮制の学校に1年行く予定でした。しかし、どうもユラにはefterskole独特の"ノリ"が合わなかったらしく、急遽カナダ行きが親戚を伝って決まったとのことでした。

最初会った時は、私とユラの身長は一緒ぐらいで、髪も長くって幼かったのに、いつの間にやら身長は20センチも抜かされ、日々美人さんに成長。部屋を散らかすことにかけては天才、物を行方不明にするのも天才、私がテキトウデンマーク語で三男ハニーと喋っていると(ハニーにはテキトウでも通じる)、何故だか通訳をしてくれたっけ。普段私に対して物静かなのに、私がスキーで急斜面大コケした時は、「大丈夫!?」って大声出してくれたり、シーチキンとなすが嫌いなくせに、シーチキン入りジャガイモのオヤキやなすのはさみ揚げはガンガン食べてたな~。夜中にドア開けてって、叩き起こされたこともあったよな~。一番ウケたのは、私がローマ字で書いた日本人宛のメールを間違ってユラに送信し、翌日なんちゃってはちゃめちゃローマ字日本語(らしきもの)で返信がきたこと。意外にお茶目やん!

と、色々思い出はあるもので。義務教育も終わり、1年カナダの高校に通うんだそう。彼と次会う時は日本かな?旅行好きなユラには、是非一度日本を体験してもらいたい。

ユラを空港で見送った後、独立した長男マウのアパートへ細々したものを届けます。3人でフラットシェアしてるそう。日曜日の昼過ぎとあって、皆ダラダラした姿です。マウに至ってはまだ寝とりました。

マウに自転車のフレームや鞄やらを届けたら、再び車に乗り込み、今度はパパラースの弟の娘の誕生日会へ。オペアに慣れ始めて、家族と一緒に旅行に行く様になった頃からオペア家族の家族行事に誘われるようになり、私もなんだかんだと参加していました。なので、あまり抵抗がないというか、4割大人と会話して、残り子供たちと全力で遊ぶのが常になっていました。今回ももちろん全力。2年半前に会った子供たちなので、遊ぶ度遊ぶ度成長には驚かされます。昔はシャイでいつも両親の陰に隠れていた子が、私と会話するのにも抵抗がなくなっていたり、デンマーク語を全然喋れなかった子が、イッチョマエに喋っていたり。女っぷりをあげていた7歳児もおりました。未だ彼氏とは上手く付き合っているんだとか。

オペアが終わって、用事があってデンマークに戻ってきた今回。オペアが終わってからも、こうして家族行事に呼んでもらえるのは本当にありがたいし、冗談でも、「これからうちら家族のクリスマスにはメグミと家族が増える可能性だってある」と言ってもらえるのは、本当に嬉しく、ありがたいことです。

デンマーク帰省ーただいま!

デンマーク1

この夏休み、再びデンマークに行ってきました。えーと、約5ヶ月ぶり、なので「またデンマーク!?」と言う声も聞こえてきそう。「デンマーク来るなら、うちに泊まっていいから」というオペアママペニーラのお言葉に甘え、デンマーク滞在中はおじゃましていました。まさに「帰省」です。

日本時間8月22日にシンガポール経由でデンマークへ向かい、23日朝デンマークに到着。日本は連日真夏日、熱帯夜だったけれども、デンマーク小雨。肌寒い。空港で荷物をピックアップしてから、ママペニーラへ今から行くよ~と電話をすると、「え?もうデンマークなの?」。いや、だから言いましたやん・・・23日朝に着くよーって。私が到着する数日前に彼らに会った友達からメールで「三男ハニー、めぐちゃん来ること知らなかったよ。パパラースもペニーラも『メグミ来るの、金曜?土曜?』って。彼ららしいよね~」と連絡があったので、だめ押しメールを送ってたはずなのに。最寄り駅まで迎えに来てもらい、久々に家へ。

玄関を入ると、これから空手へ向かう三男ハニーが飛びつきハグ。・・・何か前よりも重くなってねぇか?と思いながら、ちょっとばかしハニーを振り回し、パパラースともハグ。この日23日は次男ユラがカナダに留学に行く前日とあり、夕方からは「いってらっしゃい夕食会家族編」が開かれるとのこと。久々のデン語漬けということもあり、昼まで少し寝ることに。

夕方からは、夕食会の準備ヘルプ。ペニーラ→ニョッキ形成係、私→ニョッキ茹で見張り係。ニョッキを茹でていると、続々と集合し始めた家族たち。到着した家族たちは、既に到着している家族全員に挨拶。私もガスコンロを離れないままキッチンに来たゲストにHejと声を掛けます。すると全員が全員一瞬固まり、「・・・え?メグミ?こっち来てたんだねー!!」という反応。・・・誰も知らんかったんか、やっぱり。この春独立した長男マウはコンロ脇の勝手口から登場。ここでも「・・・あれ、メグミ?」という表情をされ、パパラースの母ブリギッテは、『あれ、メグミがいる・・・?いや、夢だわ!』と私を見た瞬間に思い、少しして『Gud!やっぱりメグミじゃないの!!』と私の存在を認識してくれたんだとか(笑)。ラース父のオーレは、最初の挨拶で私を私だと認識していなかったらしく(一体誰だと認識してたんだ)、10分後ぐらいに私のところに戻ってきて、「メグミだったんだー!!」って。

皆さんの面白い反応、楽しませていただきました。

家族全員に「ただいま」報告ができた帰省初日でありました。

写真:家の近所にあるCharlottenlund Fortという海沿いの公園。動く雲の影まで分かる空は大好き。

東京

何回か就職活動で訪れた東京。
来春から住むことになります。

取り損ねた場所もいっぱいあるけれど、来春からの趣味でいっぱい写真撮れるかな?

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浅草フラフラ


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新緑に惹かれて


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お、花発見


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湯島天神


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一人で夜景堪能だい!は、スーツ姿の私が映り込んでる

四国初上陸ー鳴門、祖谷

3月末の話。
弟のサッカー遠征をダシに徳島へ1泊2日することが決定。本当は徳島まで、小学校時代のサッカークラブで知り合い、同じ高校でサッカーをしている弟の1つ上の先輩の両親と観に行く予定だったらしい。そこを、「どうせ徳島まで行くなら泊まれば?」と父の提案でなったんだとか、違うんだとか。

初日は試合会場に向かうまでに鳴門大橋の橋桁部分にある「渦の道」へ立ち寄りました。うず潮が見れるようにと作られたそうですが、潮のタイミングが合わず、うず潮は見れず。でも、橋のかなり中央まで道は続いているので、景色を楽しむだけでも十分です。下が覗けるようにと、床がガラス張りになっている部分が何カ所もあるんですが、皆心無しかガラスを避けて歩きます(笑)。もちろん私も避けてました。

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橋桁部分を歩くー!

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あの島は何だ?

強風の中サッカーの試合を観てから、徳島の山奥へ向かいます。山の中の川沿いをずっと走るのですが、この川の色が緑がかっていて、何とも不思議な色です。崖に建つ家、細い道の両脇にある古い家屋を目で追いながら、「ああ、日本だ」とやっと実感しました。

私が希望した祖谷という場所は、1185年屋島の戦いで破れた平家の人々が逃げてきた場所だとも言われていて、平家の落人伝説があります。平家の末裔だと言われている阿佐氏が居住し、平家屋敷も現存しています。この日は夜ホテルに到着、温泉と夜ご飯を堪能してダウンです。

翌朝。チェックアウトする父をフロントに置き去りにして、私と母は土産物屋へ。「とりあえず食べ物(お菓子)」希望の弟にお菓子を買い、私はすだち焼酎をゲット(まだ飲んでないけど)。その後向かうは、かずら橋!記録によれば7、もしくは13のかずら橋が祖谷にあったと記されています。しかし、大正時代にすべての橋が安全のために架け替えられました。しかし、昭和に入り、かずら橋復活が計画され、現在あるのはその時に作られたものです。

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川の色が綺麗。かずら橋は一方通行。

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気を抜くと下の隙間から足落ちます。24.5の足でも落ちます。

さて、山越えの予定だったので勇気ある少年も拝んで行こう!ということで、山道を父が運転します。母は運転拒否、私無免許。ギリギリ対向車とすれ違える、そんな幅の道をぐるぐるぐにゃぐにゃ登っていきます。中学校までは、こんな山道を走られたら最後、私は常に車酔いでグッタリ。高校、大学の山道バス通学で鍛えられたお陰で、今では車内で地図も読めます。

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勇気ある少年こと、小便小僧。
昔は度胸試しに旅人がしたんだとか。


小便小僧の真似をする父(笑)をカメラに収めた後、山道をひたすら下り、香川を目指します。モチロン、誰も替わることなく父の運転で。